川村摩那個展 Truth is stranger than fiction.

2026年7月18日(土)- 8月2日(日)
1-7pm
休廊日:月・火・水
*7/20(月祝)は開廊

川村摩那《ひみつの裏側》2026年、キャンバスにアクリル絵具、162x130.3cm(F100)

下北沢アーツでは、川村摩那個展「Truth is stranger than fiction.」を開催いたします。川村摩那は1995年兵庫県生まれ、早稲田大学文学部日本語日本文学コースにて夏目漱石や志賀直哉など日本の近代文学作家の小説内の叙述方法や日本語学を学んだ後、民間企業勤務を経て、京都芸術大学修士課程にて絵画表現を研究し、現在は京都を拠点に絵画作品を制作しています。これまで多くの展覧会やアートフェアへ参加し、昨年は群馬青年ビエンナーレ2025にて大賞を受賞し作品が群馬県立近代美術館に収蔵されるなど、注目の新進作家です。
川村は国内外の文学作品や自分で綴った文章などを基に、その情景や文字そのものをモティーフとして制作しています。文字は何かを具体的に伝える手段でありながら、読み手一人一人が違う解釈をし、頭の中で異なる像を産み出します。その揺らぎを文字を書き、滲ませ、その上に何層ものレイヤーを重ねることによって表現しています。川村の作品は具象にも抽象にも見えますが、正に文字が、文章が具象から抽象的なイメージに変わっていく移ろいを描いているからでしょう。また、現代的な絵画でありながら、どこか古風な印象も覚えるのは川村が古代から現代に綿々と遺されて来た文学の世界を自由に行き来しているからではないかと想像させます。
本個展では「Truth is stranger than fiction.」「事実は小説より奇なり」と銘打ち、日常生活を送る中で、確かにあったけれど曖昧な出来事をテーマに描いています。小さな、少し不思議なその事件は、初めから朧げで、だからこそ時々思い起こされ、その度変化していくのかもしれません。川村は、誰しもが経験したことがあるであろう、言葉では表現できない、自分だけのその体験をそのままに受け取り、作品にしていきます。本展が、ご覧になる方それぞれの個人的な記憶を呼び起こすような展覧会となれば幸甚です。

展覧会ステートメント

「事実は小説より奇なり」とはよく言いますが、現実を描写しようとすればするほど、かえって輪郭がぼやけてしまうことがあります。辻褄の合わない出来事や朧気な記憶は、そのままの方がむしろリアルな質感を持って残っている。因果関係をすべて言葉にできる出来事よりも、「あれは一体なんだったんだろう」と思い返してしまうような、形容しがたい出来事の方が、何年も心に残り続けることがあります。

私は、自身で書いた詩や散文、日本文学の断片などをもとに絵画を制作しています。キャンバスに文字を書き重ね、水で流しながら描くことで、言葉は意味を伝える文章としてではなく、痕跡や輪郭として画面に残っていきます。そこでは「読むこと」と「見ること」の境界が曖昧になり、言葉だったはずのものが別の像へと変化していきます。

下北沢は、かつて多くの詩人や小説家たちが暮らした街です。彼らはこの街の入り組んだ地形や偶然の出会い、どこか現実と虚構の境界が曖昧になる感覚に惹かれ、作品の舞台として描いてきました。『猫町』の中で、萩原朔太郎は、見慣れた町がふとしたきっかけで別の異世界へ変わってしまう感覚について言及しています。しかし、その異様な感覚も、言葉によって説明しようとした瞬間、「正しい現実」へと回収されてしまいます。

昔、始発で乗った電車の車内で寝てしまって、起きたら見知らぬ海の見える町に来ていたことがあります。あの時の、車窓から見える今にも溢れてこちらに押し寄せてきそうな真っ青に膨張した海の重さを未だに何と言ったらいいのか分かりません。言葉や絵でもう一度表現にする前に、その原体験の前から動けない。出来事をそのものとして受け取ること。付加価値を付けたり意味付けをしたりすることを抜きに、現実を現実のまま受け取ることについて考えています。

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エッセイ「海町」
川村摩那

人が移動すると物語が生まれる。例えば近代の小説を読むといつも誰かが何かを求めて動き回っている。人を探していることもあれば物や風景を探し訪ねていることもある。徒歩の場合もあるけれど、近代化の産物である鉄道に乗っていることも多い。その旅路の道中で、高速に位置移動する鉄の塊の中で遠心分離機にかけられたみたいに、気が付けば夢と現実の境のような非日常空間へとイリュージョンしている。萩原朔太郎は『猫町』の中で、夜遅くに汽車で帰路に着くときにうたた寝をして、ふと目が覚めると窓の外の景色が進行方向とは逆の向きに進んでいて、建物や景色も何一つ見覚えのない街のように錯覚することがあることに例えていた。ただそのミステリィ空間も、一度汽車を降りてプラットフォームで現実の正しい位置を確認すると、初めに見た異常の景色たちは何でもない平常通りの見慣れたつまらないものへと収束していく。現実の位置移動は、物語のようにどこか異空間に迷い込むこともなければ淡々と、この地球の地面の上を行ったり来たりしているだけなのである。『猫町』での朔太郎は旅によるロマンスの復活を求めて、自分の方向感覚の無さを利用しわざわざ家の近所や出掛け先を徘徊してわざと迷子になっていた。私もわざとではないけれど一度だけ、今でもあの光景は何だったのだろうと思い返す不思議なトリップをしたことがある。思い返すたびにその当時の自分の行動や記憶の中の景色と現実の座標の答え合わせをしようとするのだけど、最適解はまだ出ていない・・・。

大学を卒業して東京で勤めていたころ、仕事終わりに友人と新宿で飲んでいたら終電を逃してしまった。幸い翌日は土曜日だったので、友人とそのまま朝まで飲み続けることになって、始発で家に帰ることにした。朝5時台になって友人と別れて、新宿駅東口近くの居酒屋からほとんど眠っているような顔をしながら都営新宿線の駅改札まで歩いた。駅のホームの自販機で水を買って、滑り込んできた本八幡方面の電車に乗ったところまでは覚えている。

次に気がついたとき、車窓のすぐ向こうに海が見えていた。

一瞬何が起きたのか分からなかった。私が電車に乗り込んだときはまだ外は薄暗くてほぼ夜だったはず。しかしどうだろう、目が覚めると太陽の光が膨大な水の塊に乱反射してきらきら光る気持ちのいい昼間になっていた。車内の人の数も倍以上に増えて混雑していた。ここはどこなのだろう。一駅一駅の感覚が広くなってなかなか電車が止まる気配がないことから、都心からはだいぶ離れたところまで来たんだとぼんやり思った。

そして目の前には海。

都営新宿線は地下鉄なのに、なぜ今地上を走る電車に乗っているのだろう。しかも!座席のデザインが変わっている。始発電車に乗り込んだときは普通の横並びの座席に座っていたはずなのに、今乗っている電車は位置によってひじ掛けがついている。シートの色も緑色からエンジ色になっている。いつのまにか電車を乗り換えたのか、と思った。明け方までお酒を飲んでほとんど頭が働いていないうえに寝ぼけて朦朧としていたが、目の前の車窓から見える海の綺麗さがどっぷり心に入ってきてもう少しだけこの海を見ていたいような気がした。こういう景色を感じながらまたひと眠りできたら気持ちがいいだろうなと思ったので、本当にそのまま寝てみた。そしてまた次に目が覚めたら、今度は駅のホームに立って電車を待っていた。もちろんどの駅でいつ降りたのかは分からない。しかし、そのまま次に来た電車に乗って私は無事に家に帰って行った。自分が降りた駅がどこなのかも記憶にないが、ちゃんと家に帰ったということは最適な電車を調べていたのだろう。一方で自分の感覚としては、私のためだけの駅に舞い降りて私の家にちゃんと帰れる電車が都合よく迎えに来たような感覚だった。

さて、私は一体、始発でなんの電車に乗ったのだろう。車窓から目と鼻の先に海が見えるぐらいの町に辿り着いたことから、私が新宿から小田急線に乗っていたのならなんとなく納得できる。でも、私は当初都営新宿線に乗ったはず。都営新宿線のホームには京王新線も滑り込んでくるが、間違えてそっちに乗ったとしても、たどり着くのは八王子の方面なので、あんな距離で海が見えるとは思えない。本当に駅改札を間違えて小田急線に吸い込まれたのか?だとしても、目が覚めた時に座席のシートが変わっていたのはどういうことだろう。普通に考えると自分でどこかで電車を乗り換えたのだろうが、いつどこで乗り換えたのだろう。乗り換えた結果、海辺の町を走る電車に乗っていたのか、そもそも座席に関しても記憶違いで最初から最後まで一つの電車に乗っていたのか。考えれば考えるほど、パーツを全部バラしたルービックキューブを無理やり色を揃えてもう一度立方体にしようとしているみたいだ。繋ぎ合わせようとするとわざとらしい部分が出てきて、逆に現実的ではないような気がする。全部バラけたパーツのままが一番リアルな質感で、記憶の断片がぴったり合致するような正解はそもそも存在しないような気がした。寝ぼけて起きて海が見えた時点で二度寝せずに携帯で現在地を確認するなりしていたら全部の謎が解けたのかもしれない。しかし今となってはどこにも繋がらない朧気なこの出来事だけが残っている。そして、この出来事を思い出すたびに記憶の断片が少しずつ減っていることにも気づいている。あと数年も経つと、始発電車を乗り間違えた可能性があることや、座席のシートのデザインの記憶なども失われて、最後に、あの蒼く膨張した、息苦しいぐらい輝いた海のことだけを覚えているのかもしれない。

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川村 摩那(かわむらまな)
1995年 兵庫県生まれ
2018年 早稲田大学文学部 日本語日本文学コース 卒業
2023年 京都芸術大学大学院 芸術研究科 修士課程 芸術専攻 修了

自身で書き綴った詩や散文、日本の近代文学作品などをもとに、文章の中に立ち現れる情景や文字そのものをモチーフにした絵画を制作している。言語というものが世界を知覚する手段でありながら、同時に世界を変容させる力を持つことに関心を寄せ、言葉に依拠しつつも、言葉だけでは捉えきれない感覚や印象を、絵画という視覚表現の中で探求している。キャンバス上に描き重ねられた様々な言葉の形が滲んで崩れ、他の図像と交わっていくことで、言葉というものの移ろいや意味の変容を視覚的に表現している。言葉の物質性と可変性に注目しながら、絵画を通して新たな語りを開くことを目指している。

主な個展
2026年「川村摩那展」KAWATA GALLERY(神戸)
2025年「ひとり称の群島が、崩れて像になる」anonymous studio(名古屋)
2024年「mtk+ vol.18 / 川村摩那」MtK contemporary art .S店舗内(京都)
2023年「そうして明くる日も明くる日も」haku kyoto(京都)

主な展示
2025年
「群馬青年ビエンナーレ2025」群馬県立近代美術館(群馬)
「Each in Three」SOM GALLERY(東京)
「COURTYARD ARTIST BOOKSHELF」コートヤードHIROO(東京)
「Intricate Iconology」京都蔦屋書店(京都)
「ゴミと鉛筆とアート」UNKNOWN HARAJUKU(東京)
川村摩那・木津本麗 二人展「波とFrame」GALLERY ROOM・A(東京)
2024年
川村摩那・木田陽子 二人展「6文字」Alternative Space yuge(京都)

主なアートフェア
2025年「ARTISTS’FAIR KYOTO 2025」京都国立博物館 明治古都館(京都)
2023年「ARTISTS’FAIR KYOTO 2023」京都文化博物館 別館(京都)

受賞歴
2025年 群馬青年ビエンナーレ2025 大賞

コレクション
群馬県立近代美術館
森精機株式会社